京都地方裁判所 昭和55年(わ)333号 判決 1986年1月22日
本店所在地
京都市中京区西ノ京南上合町三八番地
三越土地株式会社
右代表者代表取締役
王本公雄こと 王利鎬
国籍
韓国(釜山市南区龍湖洞九五番地)
住居
京都市中京区西ノ京南上合町三八番地
会社役員
王本公雄こと 王利鎬
一九一八年四月二〇日生
国籍
韓国(釜山市南区龍湖洞九五番地)
住居
京都市伏見区桃山町養斉一六の五一
会社役員
王本寛一こと 王寛一
一九四七年四月三日生
右の者らに対する法人税法違反被告事件について、当裁判所は、検察官須藤政夫、主任弁護人前堀克彦各出席のうえ審理し、次のとおり判決する。
主文
被告人三越土地株式会社、被告人王利鎬及び被告人王寛一は、いずれも無罪。
理由
第一本件公訴事実
本件公訴事実は、
「被告人三越土地株式会社は、京都市中京区西ノ京南上合町三八番地に本店を置き、住宅建売及び土地売買業を営むもの、被告人王本公雄こと王利鎬は、右会社の代表取締役としてその業務全般を統轄しているもの、被告人王本寛一こと王寛一は、右会社の取締役として営業並びに経理の業務に従事しているものであるが、被告人王利鎬及び同王寛一は、右会社の取締役である王本清一と共謀の上、右会社の業務に関し、法人税を免れようと企て、
第一 昭和五一年四月一日から同五二年三月三一日までの事業年度における右会社の所得金額は九七〇六万四一一五円で、これに対する法人税額は土地譲渡の特別税率による税額を含めて三三一五万〇九〇〇円であつたにもかかわらず、公表経理上、架空名義の借入金を受け入れて架空の支払利息を計上するほか売上げの一部を除外するなどして所得を秘匿した上、昭和五二年五月三一日、京都市中京区柳馬場通二条下ル等持寺町一五番地所在の所轄中京税務署において、同税務署長に対し、右事業年度の右会社の所得金額は一一六六万六七一九円で、これに対する法人税額は無い旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もつて不正の行為により、右事業年度の正規の法人税額三三一五万〇九〇〇円を免れ
第二 昭和五二年四月一日から同五三年三月三一日までの事業年度における右会社の所得金額は三億六九三六万四七〇〇円で、これに対する法人税額は土地譲渡の特別税率による税額を含めて一億六八八二万一九〇〇円であつたにもかかわらず、前同様のほか土地仕入を過大に計上するなどして所得を秘匿した上、昭和五三年五月三一日、前記中京税務署において、同税務署長に対し、右事業年度の右会社の所得金額は二〇二七万五三九四円で、これに対する法人税額は無い旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もつて不正の行為により、右事業年度の正規の法人税額一億六八八二万一九〇〇円を免れ、
第三 昭和五三年四月一日から同五四年三月三一日までの事業年度における右会社の所得金額は一億二三七〇万六一四七円で、これに対する法人税額は土地譲渡の特別税率による税額を含めて三七六八万五一〇〇円であつたにもかかわらず、公表経理上、架空名義の借入金を受け入れて架空の支払利息を計上するなどして所得を秘匿した上、昭和五四年六月三〇日、前記中京税務署において、同税務署長に対し、右事業年度の右会社の所得金額は三七二万九六五八円で、これに対する法人税額は無い旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もつて不正の行為により、右事業年度の正規の法人税額三七六八万五一〇〇円を免れ
たものである。」
というものである。
第二当裁判所の判断
そこで右公訴事実につき検討することとするが、以下において、被告人三越土地株式会社(以下「被告会社」という。)の昭和五一年四月一日から同五二年三月三一日までの事業年度を「昭和五二年三月期」、同五二年四月一日から同五三年三月三一日までの事業年度を「昭和五三年三月期」、同五三年四月一日から同五四年三月三一日までの事業年度を「昭和五四年三月期」といい、証拠を引用する場合は、証拠等関係カードの標目、番号で表示し、証人や被告人の供述については、たとえば、「第一回公判調書中の証人Aの供述部分」を「A供述(一回公判)」というように表示することとする。
検察官は、本件起訴にかかる被告会社の各年度の可罰対象としての損益勘定科目の数額及び所得金額(公表申告金額プラス犯則金額)について、別表1の検察官主張額のとおり主張する。これに対し、弁護人は、右勘定科目中、売上高、受取利息、支払利息割引料等については、逋脱の事実を争い、期末土地たな卸高、当期土地仕入高等については犯意を争い、可罰対象としての損益勘定科目の数額及び所得金額について別表1の弁護人主張額のとおり主張する。
そして、当事者間に争いのない各勘定科目(争いのない部分を含む。)の数額については、証明書(検3、4、5)、査察官調査書(検45、48、249)、元帳(検87、88、89)、三越土地(株)資料綴(検98)、決算報告書綴(検117)及び確定申告書(検147)により、当事者双方主張どおりの数額を認定することができる。そこで、以下、争いのある勘定科目について判断する。
一 昭和五二年三月期の売上高について
当期の売上高について、検察官と弁護人の各主張額には、二〇〇万円の差異が存する。これは、被告会社が昭和五一年三月期に山本寿三から下取りし、同年五月三一日に末永昭子に一二七〇万円で売却した京都市左京区田中関田町の中古住宅(以下「本件物件」という。)について、公表帳簿(以下、単に「公表」ともいう。)では、山本からの下取価格を一四〇〇万円として、末永に一二七〇万で売却した結果、一三〇万円の売却損があったとしているが、検察官は、実際の下取価格は一二〇〇万円であつたとして、売却損一三〇万円を否認し、売却益七〇万円を計上すべきである旨主張するのに対し、弁護人は公表どおり下取価格は一四〇〇万円である旨主張することによる。
そこで、検討するのに、銀行確認書(検11)によれば、山本は、京都市左京区浄土寺西田町の宅地建物を購入する際、伏見信用金庫出町支店に対し、住宅ローンの申込みをしているが、その際同支店に提出した被告会社との間の不動産売買契約書(昭和五一年一月一七日付)の特約事項欄に、本件物件を被告会社が一二〇〇万円で下取する旨の記載が存することが認められるものの、他方、吉田秀司供述(七回公判)、査察官調査書(検46)によれば、右売買については右契約証書以外に被告会社から押収した契約証書があり、これには本件物件の下取価格が一四〇〇万円と記載されていること、山本も査察官に対し下取価格は一四〇〇万円である旨供述しており、山本に対する譲渡所得の課税資料においても一四〇〇万円となつていたことが認められ、更に、被告人王寛一も公判で同旨の供述をしていること、他に前記支店に提出した売買契約証書の記載の方が正しいことを裏付けるに足りる資料も存しないことなどを併せ考えると、本件物件の下取価格が、一四〇〇万円でなかつたと断定することはできず、この点に関する検察官の主張は証明不十分というほかない。
二 昭和五二年三月期、同五三年三月期、同五四年三月期の支払利息割引料について
1 各期の支払利息割引料について、検察官及び弁護人の各主張額には、昭和五二年三月期で一億二一二六万九五六七円、同五三年三月期で四七八一万三五一二円、同五四年三月期で一億一一七一万八七一八円の差異が存する。これは、検察官において、被告会社が公表上、被告人王利鎬一族以外の個人(吉川寿一、李琦澤を除く。)から金を借入れたとして、これに対し支払利息を計上しているが、右借入金(以下「本件借入金」という。)は虚偽のものであり、これに対する支払利息(金額の詳細については別表2参照)を架空のものとして否認すべきである旨主張するのに対し、弁護人は、右借入金は虚偽のものではなく、支払利息も実在するから、公表のとおり支払利息を計上すべきである旨主張することによる。
2 そこで、まず、本件借入金及びこれに対する支払利息が、単に帳簿上のみなされた虚偽、架空のものであるか否かについてみると、査察官調査書(検65、70ないし72)によれば、被告会社の預金口座等には、本件各借入金及び支払利息に相応する金員の動き(入出金等)が認められ、本件借入金の借入れ、返済、利息の支払自体は、単なる帳簿上にのみなされた架空のものではなく、現実に金の移動が伴うものであることが認められる。そして、前記証拠によれば、本件借入金及び支払利息は、会社設立後まもない昭和四四年三月期から発生したもので、同期から同五四年三月期までの各期の金額は、別表3のとおりであると認められる。
そして、被告人王利鎬の公判供述(六二回公判)、検察官に対する供述調書(検223、224)、査察官調査書(検62ないし、65、、70ないし72)によれば、本件借入金の貸主及び利息の受取人は、公表帳簿記載の貸主でなく、被告人王利鎬であつたことが明らかである。
3 そこで、本件借入金の原資が問題となるが、検察官は、本件借入金の原資は、被告会社の売上除外金であり、簿外に蓄積された被告会社の売上除外金が借入金の形で組み入れられ、支払利息として再び簿外に流出したものである旨主張し、その根拠として、被告会社の売上除外金と本件借入金に対する支払利息の合計額が本件借入金の額を上回つていることや、被告人王利鎬には本件借入金の原資となるような個人資産は存せず、仮に過去において同被告人の個人資産が一部本件借入金の原資となつていたとしても、本件当時すでに返済ずみと評価さるべきことなどを挙げる。これに対し、弁護人は、本件借入金の原資は、被告人王利鎬の個人資産である旨主張し、その根拠として、同被告人は本件借入金を上回る個人資産を有していたことや、被告会社の売上除外金は本件借入金の額ほど多額ではないことなどを挙げる。
そして、被告人王利鎬は、捜査段階においては、「本件借入金の原資は、自分の個人資金、昭和四八年ころまでの間の被告会社の売上除外金及び本件借入金の支払利息である」旨供述していた(検224)が、公判では、「本件借入金の原資は、自分の個人資金及び本件借入金の支払利息(これも個人に帰属する)であり、被告会社の売上除外金は、本件借入金の原資となつていない。自分の個人資金を仮名で被告会社に貸付けたのは、個人資金が自分の隠し財産であつたので、これを公表上自分の名義で貸すと、税務当局から個人に課税される可能性があつたことと、家族や従業員にも自分の資産状況を知られたくなかつたためである。」旨供述する。
そこで、本件借入金及び利息の帰属を判断するためには、本件借入金及び利息の状況、被告会社の売上除外金の額及び使途と右売上除外金等による本件借入金の原資充足の可能性、被告人王利鎬の個人資金の量とこれによる本件借入金の原資充足の可能性等についての検討が必要となるので、以下これらの点について検討する。
(一) 本件借入金及び支払利息の状況及び特殊性
査察官調査書(検62ないし、68、70、72)によれば、本件借入金には借用証控、借入先の住所等を記載した書類がなく、公表上借入先としては多数の氏名の記載があるにもかかわらず、利息の支払には毎月末に一枚の小切手で現金の支出がなされており、被告会社の景気が悪化してきた昭和五〇年から同五三年にかけては、公表上月利率が下げられたり、未払利息につき支払免除を受けたとして取消しがなされたりしていることが認められるが、右各事実は、本件借入金の原資が被告会社の売上除外金であつても被告人王利鎬の個人資金であつても不合理なものではなく、帰属についての決め手とはならず、その他本件各証拠によつても、本件借入金及び支払利息と被告会社の売上除外金とを直接結びつけるような事情は見い出し得ない。
(二) 被告会社の売上除外金等による本件借入金の原資充足可能性について
本件借入金は、別表3記載のとおり、昭和四九年三月期では五億〇〇八〇万円、同五三年三月期、同五四年三月期では一〇億七九一〇万円であるが、検察官は同四九年三月期までの被告会社の売上除外金の累積額は、合計約三億四〇〇〇万円であり、これに、同期までの本件借入金に対する支払利息合計額の約二億四〇〇〇万円を加えると、合計約五億八〇〇〇万円となり、売上除外金のみならず支払利息も本件借入金の原資となるから、同期時点において、売上除外金及び本件支払利息の合計額(約五億八〇〇〇万円)は当期の本件借入金(約五億円)を上回つており、同五三年三月期においても、同期までの売上除外金合計額約四億七五〇〇万円と同期までの本件支払利息合計額約七億一五〇〇〇万円の合計額(約一一億九〇〇〇万円)は、本件借入金(一〇億七九一〇万円)を上回っているから、売上除外金及び支払利息金によつて、本件借入金を充足することは十分可能である旨主張する。これに対し、弁護人は、被告会社の売上除外金額は検察官主張額ほど多額ではなく、しかも、売上除外金はすべて簿外経費に使用しており、本件借入金の原資とはなつておらず、また仮に検察官主張の売上除外金額がすべて本件借入金に充当されたとしても各期ごとに検討すれば原資として不十分である旨主張する。そこで、以下右各争点について検討する。
(1) 売上除外金額について
昭和四九年三月期から同五三年三月期までの売上除外金額については、査察官調査書(検44、45、48、249、251、254、255)及びノート(検129)により、別表4の売上除外額欄記載のとおり(検察官主張額と同額)認められる。右各期については、前記各証拠によつて明らかなとおり、建売住宅の売出し用図面、被告会社の営業担当者であつた浜倉康修のノート、売買契約書等の直接証拠により認定できるものである。
これに対し、会社設立当時の昭和四三年三月期から同四八年三月期までの売上除外額については、右のような直接証拠が十分には存しない。そこで、右期間の売上除外金額について、検察官は、右浜倉が同人扱いの建売住宅の分譲価格等を記載していたノート(検129。以下「浜倉ノート」という。)に基づいて、売上除外割合を売上額の六・八八パーセントであると推計し、これに被告会社設立時から昭和四八年三月期までの建売住宅売上総額三九億七一五七万四〇〇〇円を乗じて、売上除外総額は二億七三二四万四〇〇〇円(千円未満切捨)であると主張する。これに対し、弁護人は、浜倉ノートは、浜倉扱い分のみに関するものであるから、これを被告会社全体にあてはめるのは早計であり、浜倉ノートは昭和四八年三月期から同五〇年三月期までの記録であるが、当時は住宅ブームという特殊な時期であつたから、この当時の数字を他の年度にもあてはめるのは不合理であるから、浜倉ノートによる売上除外率の推計は不当であり、昭和四三年三月期から同四八年三月期までの売上除外金累積額は、同四四年、四七年、四九年の三回にわたり所轄の中京税務署の特別調査を受け、その都度売上除外金として把握され、更正決定を受けた金額のとおり六八一一万三〇〇〇円であつた旨主張する(弁論要旨別表(一)参照)。
そこで、この点について検討するのに、被告人王利鎬、同王寛一、王清一の各公判供述によれば、被告会社においては建売住宅を客に販売する際、当初被告会社の契約書用紙を用いて真実の販売価額を記載した売買契約書を作成するが、登記手続日(最終代金支払日)に司法書士事務所等において、浄書等を理由にして、司法書士事務所備付の契約書用紙を用いて、実際の販売価格より低額の価額を記載した売買契約書を作成し、後者の価額に基づいて公表帳簿を作成するという方法で、いわゆる売上圧縮をして売上除外金を簿外に蓄積していたこと、右売上圧縮は、主に被告人王利鎬、同王寛一ら被告会社の役員が行なつていたもので、個々の営業社員の販売行為と圧縮行為とは直接に関連するものではないことが認められ、浜倉康修供述(一九回公判)、稲田登供述(二五回公判)、伊藤由之助供述(四七回公判)、査察官調査書(検44、81、251)、ノート(検129)によれば、右浜倉は昭和四七年四月から同五三年六月まで被告会社に勤務し、営業を担当していた者で、浜倉ノートには同四七年五月から同四九年一二月までの浜倉が扱つた取引についての記載があり、同ノートに基づくと同人取扱い分の売上圧縮率は六・八八パーセントになること、浜倉は当時被告会社の売上の三分の一程度を販売していたこと、浜倉ノート自体の記載は査察官による買主に対する反面調査の結果とほぼ一致していることが認められ、更に八木直次(検338)、川村道夫(検340)の各検面調書によれば、被告会社の住宅販売の登記手続を代行していた司法書士の八木直次、同川村道夫は、検察官に対し被告会社の売上除外率は、右浜倉ノートの六・八八パーセントより大いめであった旨の供述をしていたことが認められ、他方、被告会社に対する所轄税務署の調査は、関係証拠上どの程度厳密に被告会社の売上除外金を把握していたか必ずしも明らかでなく、他に右時期の売上除外金を認定する資料も存しないことなどを併せ考えると、前記弁護人の指摘を考慮しても、右期間につき浜倉ノートを基に売上除外率を推計すること自体は必ずしも不合理なものとは言えない。
そこで、被告会社設立期から昭和四八年三月期までの被告会社の建売住宅総売上高三九億七一五七万四〇〇〇円(弁護人は、売上除外算定の基礎としては、被告会社の総売上額から土地のみの売買額を差し引いたものとすべき旨主張するが、前記各証拠に照らすと、そのように解すべき根拠は見当らない。)に六・八八パーセントを乗ずると、検察官主張のとおり、同期間中の売上除外総額は二億七三二四万四〇〇〇円(千円未満切捨)であつたものと認められる。
そして、売上除外金の右各期ごとの金額は査察官調査書(検81、255)により、別表4の売上除外額欄記載のとおり認められる。
(2) 売上除外金の使途について
検察官は、売上除外金はほとんど本件借入金と後期の仮名預金の原資になつていた旨主張するが、弁護人は、売上除外金は被告会社の簿外経費に充てられたほか、昭和四九年以前は王清一やかつて被告会社の番頭格であつた被告人王利鎬の義弟本田正和が一部着服していた旨主張し、被告人王利鎬、同王寛一、王清一も公判で同趣旨の供述をする。
そこで検討するのに、右各人の公判供述、米田寬供述(五五回公判)、領収証(弁5)によれば、不動産業者が地主から土地を購入し、宅地開発をする際、地主や地元有力者等にいわゆる裏金を払うことがあり、被告会社も相当額の裏金を支出し、この裏金の支出は公表経理に挙げられないことから売上除外金から支出していた可能性があることが認められ、また、前記各証拠によれば、王清一らが売上除外金を着服して自己のために使用していた可能性も否定しえないものである。
(3) 売上除外金による本件借入金の充足可能性
以上のとおり、売上除外金がすべて本件借入金及び後記の簿外仮名預金の原資となつているとの検察官の主張には疑いを入れる余地があるうえ、仮に売上除外金全額が本件借入金の原資となつていることを前提としても、会社設立以後各期ごとに考察すると、別表4記載のとおり算定することができ、売上除外金及び本件借入金についての支払利息のみでは、本件借入金及び後記仮名預金の原資としては不十分である(本件起訴対象期では、本件借入金全体の三割にもみたない。)。検察官の前記主張では、売上除外金と本件借入金に対する支払利息の合計額の総額が本件借入金の総額を超えることになるが、この計算方法は、会社設立後本件起訴当時までをトータルで算定したもので、本件借入金の原資に売上除外金以外の個人資金が流入していたとすれば、個人資金に対する支払利息は個人に帰属することなどにより、成り立ち得なくなる論理であつて、合理的なものとはいえない。
(三) 被告人王利鎬の個人資金量
被告会社が設立された昭和四二年五月当時における被告人王利鎬の個人資金量について、検察官は約九〇四〇万円程度であつた旨主張し、弁護人は本件借入金及び後記仮名預金を賄うだけの資金を有していた旨主張する。
そこでこの点につき検討するのに、被告人王利鎬の捜査段階(検217、222、224、225)及び公判での供述(六二回公判)、田命連供述(五八回公判)、崔寿煥供述(五四回公判)、田中精之供述(四一回公判)、登記簿謄本(検214)、調査報告書(検82、265、267)、土地売買明細帳(検475)、ノート(検476)等によれば、被告人王利鎬は、昭和六年ころ来日し、丁稚奉公や百姓手伝いをしていたが、昭和二一年ころから材木商を営み、同三〇年ころからは東亜商会という名称で個人で金融業を行なつていたが、同四〇年ころから土地売買等も始め、同四二年五月に住宅建売、土地売買等を業とする被告会社(資本金一〇〇〇万円)を設立し、その代表取締役となり、同四七年六月には同社の資本金を四〇〇〇万円に増資したこと、同被告人は金融業を行なつていた昭和三六年から同三九年の間の金の貸付、借入状況等をノート二册(検476)に自ら記帳していたが、同ノート等をもとに集計すると、昭和三九年一二月末時点での同被告人の個人資金量は七八五六万円余となり、査察官及び検察官はこの数字をもとにその後の個人収支を推計し、被告会社設立時の本件借入金及び後記仮名預金の原資として可能な個人資金量を九〇四〇万円余としているが、他方、同被告人は公判では昭和四一年末時点での個人資産は、土地、貸金、仮名預金という形で一〇億円以上存し、前記ノート(検476)に記帳されている以外にも多額の貸金があつた旨供述しており、前記証拠など検察官提出の証拠によつても、右ノート記載分以外に同被告人には貸金がなかつたものとは断定することができず、さらに吉川寿一こと崔寿煥他多数の証人は、右ノート記載分以外に同被告人が多額の金を貸付けていた旨供述していること、被告会社設立以前に同被告人がどの程度仮名預金を有していたか十分な解明がなされていないことなどを併せ考えると、昭和四二年五月当時の同被告人の個人資金量が九〇四〇万円余に止まつていたとは断定できず、むしろ、それ以外に多額の資金(その額は特定しえないが)を有していた可能性が高いものと認められる。そして、前記証拠によれば、同被告人は被告会社設立後も引き続き金融を行なつていた可能性も否定できず、本件借入金が形成されていつた昭和四四年三月期以降においても、同被告人の資金量は増大していつた可能性が存する。仮に、検察官主張のとおり同被告人の昭和四二年五月当時の資金量が九〇〇〇万円程度であつたとしても、本件借入金の如く月二、三パーセントの利率で金を貸していたとすれば、単純に計算しても、月三パーセントの単利で一〇年間で元利合計四億一四〇〇万円に達するものである。
以上によれば、被告人王利鎬の個人資金により本件借入金の全部あるいは相当部分が賄われた可能性が認められるものである。
4 以上のとおり、本件借入金と本件売上除外金とを直接結びつけるような事情は認められないうえ、検察官主張のとおり被告会社に売上除外金が存在したとしても、それが全額本件借入金及び本件仮名預金に充当されたかどうかは明らかでなく、仮に全額充当されたとしても、各期ごとに検討すると、本件売上除外金及び支払利息金のみでは本件借入金及び本件仮名預金の一部の原資としかなりえないとも解しうること、被告人王利鎬には相当額の個人資金があり、これによつても本件借入金の全部あるいは相当部分の原資となりうることなどを併せ考えると、被告人王利鎬の個人資金が本件借入金の原資に相当量流入していた可能性を否定することができず、また、右個人資金が最大限どの程度流入しているかその割合も証拠上確定できないものである。
なお、検察官は、被告人王利鎬の個人資金が本件借入金の一部の原資となつていたとしても、トータルで考えると、同被告人に返済ずみであり、起訴対象期の本件借入金の原資にはなつていない旨主張するが、これを認めるに足る証拠は存しない。国税査察官稲田登は、「昭和四九年三月期までの売上除外金と本件支払利息の合計は約五億八〇〇〇万円で、本件借入金の合計額は約五億円であり、かつ、右五億八〇〇〇万円は一度被告人王利鎬のふところに入るわけであるから、仮に当初同被告人が個人の金を本件借入金に投入したとしても、本件時にはすでに相殺済みになつている。」旨供述する(二五回公判)が、右供述の趣旨は必ずしも判然とせず、同被告人が被告会社に貸付けた金の返済を受け、これを再び被告会社に貸付けるということを繰り返していたとすれば、相殺というようなこともありえようがなく、右供述は採用できない。
また、検察官が論告要旨一五丁で挙げる参考判例は、いずれも本件と事案を異にするものであり、右判例の論理、認定は当裁判所の判断を左右するものではない。
5 してみると、本件借入金の原資が被告会社の売上除外金からなるから本件支払利息を否認すべきであるとの検察官の主張は、採用することができない。
三 昭和五二年三月期、同五三年三月期、同五四年三月期の受取利息について
1 各期の受取利息について、検察官及び弁護人の各主張額には、昭和五二年三月期で一三九三万三三二六円、同五三年三月期で一六四七万二五九四円、同五四年三月期で二三六二万七三九九円の差異がある。これは、検察官が、被告会社には簿外に別表5記載の金額の仮名預金及び無記名預金(以下、本件預金という。)があるから、右預金の利息(以下、本件利息という。)を被告会社の所得に計上すべきであると主張するのに対し、弁護人は、本件預金及び本件利息の存在自体は認めるものの、当該預金は別表6のとおり、ほとんど被告人王利鎬ら個人に帰属するものであるから、その利息を被告会社の所得に計上すべきではないと主張することによる。
銀行確認書(検12ないし40)、査察官調査書(検49、50、52、55ないし62)、現金預金有価証券等現在高確認書(検158ないし163)、供述書(検181、185、320、321)、回答書(検271ないし276、322ないし325)、報告書(検326)によれば、別表5記載のとおり本件預金及び本件利息の存在が認められる。
2 検察官は、本件預金が被告会社に帰属する理由として、被告会社は本件預金の原資となりうる売上除外金があつたこと、被告人王利鎬らには本件預金の原資となりうるような個人資金はなかつたことを挙げ、これに対し、弁護人は、被告会社の売上除外金は本件預金の原資とはなりえないこと、被告人王利鎬らは本件預金の原資となりうる個人資金を有していたこと、本件預金の管理運用も被告人王利鎬ら個人が行なつていたことなどを主張する。
そこで、以下、本件預金の管理運用状況、被告会社の売上除外金による本件預金の原資充足可能性、被告人王利鎬らの個人資金量等について検討する。
(一) 本件預金の管理運用状況等について
奥田善嗣(九ないし一一回公判)、後藤伸生(一一回公判)、岡本賢治(一四回公判)、近藤幹男(一二、一九回公判)、片山武(一三回公判)、森川博一(一五回公判)、福田治男(一六回公判)、別所義敏(一七回公判)、長岡範夫(五八回公判)の各供述、担保品元帳(検131)、渉外日報(検132)、仮名定期手控(検136)、支店長所持の仮名定期預金手控アドレス帳(検137)、管理カード(検139、140)、供述書(検185、320、327)、検面調書(検328ないし331)、捜査照会回答書(検332、333)、確認書(検334、335)によれば、本件預金及び利息の昭和四八年三月期から同五四年三月期までの各期の状況は、別表5記載のとおりであること、本件預金の相当部分については被告人王利鎬、同王寛一、王清一、田命連がそれぞれ預け入れ預金証書を保管管理していたこと、本件預金の中には預金銀行、信用組合(以下単に銀行という。)の右各個人に対する貸付の担保になつていたものも存すること、本件起訴後には本件預金の大部分が解約され、その中には各個人の実名預金に組み入れられたものも存すること、本件預金の受入、払戻等に関与した銀行員らは、本件預金が被告会社又は被告人王利鎬ら一族に関係するものであることは認めるものの、預金自体が被告会社、又は各個人のいずれに帰属するものであるかは判らない旨供述していること、銀行内部においては、右各個人から受け入れた預金については、一族内であるとはいえ他の個人には秘密にするようにとの取り扱いがなされていたこと、本件預金の一部には被告会社に対する預金銀行の貸付担保となつていたものもあるが、右預金は被告会社設立後間なしの昭和四五、六年ころのものであること(弁護人は、当時は、被告会社に実績がなくその信用だけでは融資を受けられなかつたので、被告人王利鎬が個人の仮名預金を担保として提供した旨主張しており、その可能性は否定できないものである。)が認められるものの、本件預金と被告会社の売上除外金を直接結びつけるような事情は認められない。
(二) 被告会社の売上除外金による本件預金の原資充足の可能性
前記二の3の(二)で詳述したとおり、検察官主張の売上除外金が存在したとしても、各期ごとに検討すると、本件預金及び前記借入金の双方を充足することは不可能である。
(三) 被告人王利鎬ら個人の資金量
(1) 被告人王利鎬の個人資金量
同被告人は、前記二の3の(三)で詳述したとおり、相当多額の個人資金(その額は確定できないが、被告会社設立当時でも億単位、昭和五四年三月期では数億円以上の可能性がある。)を有していたとみられ、本件預金中弁護人が同被告人に帰属すると主張する部分(別表6参照。同表及び査察官調査書(検62)からの集計では、昭和五四年三月期で、約一億六六〇〇万円程度)の原資として十分可能なものであつたと認められる。
(2) 被告人王寛一の個人資金量
弁護人は、同被告人は、本件預金中弁護人が同被告人に帰属すると主張する預金(別表6参照。同表等からの集計では昭和五四年三月期で約五二〇〇万円程度)の原資となりうる程度の個人資金を有していた旨主張し、検察官は、同被告人にはそのような個人資金はなかつた旨主張する。そこで、検討するのに、同被告人の捜査段階及び公判での供述並びに登記簿謄本(検214)によれば、同被告人は、被告人王利鎬の次男として出生し、昭和四六年に大阪外国語大学朝鮮語科を卒業して被告会社の常務取締役として稼働し、同四八、九年以降は被告会社の販売、経理業務の中核として業務遂行にあたつていたことが認められるが、同被告人は公判では、「自分は幼少時から小遣い等を貯め、それを母親の田命連に預けて頼母子講等で増やしてもらい、昭和四七年ころからはこの金をもとに不動産業を営んでいた従弟の梅野聖雄に出資して、同人の営む住宅建売による利益の分配を受けるなどして資産を形成し、数千万円の個人資金を有するようになつた。」旨供述し、田命連(五九回公判)、梅野聖雄(五九回公判)も同趣旨の供述をしており、登記簿謄本(弁7ないし61)によれば、同被告人の供述に沿う梅野聖雄(株式会社住宅総合センター代表者)による不動産取引がなされていることが認められ、同被告人の右供述を不合理であるとも断じられないものであるから、昭和五四年三月期以前において、同被告人が数千万円の個人資金を有していた可能性は否定できないものである。
(3) 王清一の個人資金量
弁護人は、王清一は、本件預金中弁護人が同人に帰属すると主張する預金(別表6参照。同表等からの集計では、昭和五四年三月期で約二四〇〇万円程度)の原資となりうる程度の個人資金を有していた旨主張し、検察官は同人にはそのような個人資金は存しなかった旨主張する。そこで、検討するのに、王清一の捜査段階及び公判での供述並びに登記簿謄本(検214)によれば、同人は被告人王利鎬の長男として出生し、昭和四二年に大学院を卒業して被告会社に入社し、専務取締役として業務を遂行し、昭和四五年から四八年ころにかけては営業及び経理の中核として活動していたことが認められるが、同人は、公判において、「自分は、昭和四五年から四七、八年ころまで被告会社の売上除外金を着服して、仮名預金にしたり、昭和五〇年ころからは知人の不動産業者田中次男らに資金を提供して、利益の分配を得るなどして資産を増やし、数千万円の個人資金を有していた。」旨供述し、田中次男も同趣旨の供述をしており(五九回公判)、登記簿謄本(弁62ないし75)によれば、王清一及び田中次男の供述に沿う同人による不動産取引がなされていることが認められ、王清一の供述を不合理であるとも断じられないものであるから、昭和五四年三月期以前において、同人が二〇〇〇万円余の個人資金を有していた可能性は否定できないものである。
(4) 田命連の個人資金量
弁護人は、田命連は、本件預金中弁護人が同人に帰属すると主張する預金(別表6参照。同表等からの集計では、昭和五四年三月期で約一億九〇〇〇万円程度)の原資となりうる程度の個人資金を有していた旨主張し、検察官は同人にはそのような個人資金は存しなかつた旨主張する。そこで検討するのに、田命連の公判供述、登記簿謄本(検214)によれば、田命連は被告人王利鎬の妻で、通称王本光子といい、被告会社の取締役の地位にあるものの、被告会社の業務には直接関与していないが、同人は公判において、「自分は、終戦後から家計費をやりくりして金を貯え、昭和二六年ろからは、この金を頼母子講に投入したり、夫の王利鎬に貸して利息を得たりして資金を増やし、昭和五三、四年ころには一億、七、八〇〇〇万円の資金を有していた。」旨供述しており、李福萬、玉山こと王貞子、新木こと崔永祚(いずれも五七回公判)の各供述及び小型手帳(弁6)によれば、田命連は昭和二〇年代から頼母子講に参加し、昭和四〇年代には、多数の頼母子講に多額の金を投入して相当の利益を上げていたことが認められ、査察官調査書(検341、342)によれば、国税局においても、田命連は知人の平沼に対し、昭和四八年に四五〇〇万円、同四九年に二五〇〇万円の合計七〇〇〇万円の金員を貸与し、右貸金は同五二年二月に平沼が夜逃げし結局回収不能に終つたが、同五一年八月まで毎月一七五万円、合計五〇七五万円の利息金を受領していたことを認めており(国税局は、これを田命連の個人資金として、同人の個人収支勘定に入れている。)、以上によれば、田命連の前記供述を不合理であるとも断じられず、昭和五四年三月期以前において、同人が一億七、八〇〇〇万円程度の個人資金を有していた可能性は否定できないものである。
3 以上のとおり、本件預金と被告会社の売上除外金とを直接結びつけるような事情はみられず、むしろ、被告人王利鎬ら各個人が本件預金を各別に管理運用していたこと、各期ごとに検討すると、被告会社の売上除外金のみで本件預金及び前記借入金を充足することは困難であること、被告人王利鎬ら各個人には本件預金をなしうる個人資金を有していた可能性が存することなどを併せ考えると、本件預金の大部分又は相当部分が被告人王利鎬ら各個人に帰属する可能性は否定できず(被告人王利鎬、同王寛一、王清一、田命連もほぼ別表6のとおり帰属する旨公判で述べている。)他方、被告会社の売上除外金もある程度本件預金の原資となつた可能性もあるが、その額を証拠上確定することができないので、疑わしきは被告人の利益にの法理により、本件預金全額につき被告会社に帰属するものとは認めることができないものである。
よつて、本件利息が被告会社に帰属するとの検察官の主張は採用できない。
四 昭和五三年三月期の雑収入について
当期の雑収入について、検察官及び弁護人の各主張額に一〇五万円の差異がある。これは、検察官において、昭和五〇年六月から九月にかけて、中山観光株式会社(以下、中山観光という。)に貸付けられた合計三五〇〇万円の金員(以下、本件貸金という。)は、被告会社の売上除外金が原資となつているから、右貸付金に関し、昭和五二年七月に支払われた一〇五万円の利息は、被告会社の雑収入に計上さるべきである旨主張するのに対し、弁護人において、本件貸金の貸主は被告人王利鎬個人であるから、前記利息も同被告人個人に帰属するものである旨主張することによる。
そこで、検討するのに、被告人王利鎬は公判で、本件貸金は自己の個人資金を貸付けた旨供述しており、渡辺憲一(八回公判)及び中山政夫こと金奇権(五八回公判)の各供述、銀行確認書(検43)、査察官調査書(検76。)、債権差押及取立命令(検105)によれば、昭和五〇年王本公雄(被告人王利鎬の通称)名義で中山観光に合計三五〇〇万円が貸付けられ、中山観光は額面三五〇〇万円の約束手形を振出したが、同手形の受取人欄は王本公雄となつていること、中山観光は右貸金の返済を怠つたため、王利鎬名義で中山観光に対し約束手形金請求訴訟が提起され、同訴訟は王利鎬が勝訴し、勝訴判決に基づき同人名義で中山観光の銀行預託金が差押えられていること、右差押命令及び転付命令により得られた金員は同被告人の預金口座に入り、その後三五〇〇万円は松井名義(仮名)で被告会社に貸付けられていることが認められ、更に前記二の3の(三)で詳述したとおり、同被告人は相当の個人資金を有していたことなどを併せ考えると、本件貸金は、同被告人の個人資金が原資となつていた可能性があり、被告会社に帰属すると断定するに足る証拠はない。
よつて、この点に関する検察官の主張は採用できない。
五 昭和五三年三月期の当期土地仕入高について
1 当期の土地仕入高について、検察官及び弁護人の各主張額に四億九五三一万五二二〇円の差異があるのは、検察官において、被告会社が京都市北区紫竹下高才町及び同区紫竹下本町(以下、下高才町、下本町という。)の土地を取得するに際し、今村栄三らから右土地に関する抵当権付債権を合計五億二〇〇四万九三一五円で買い取りながら、これを資産勘定とせず、全額土地仕入高に計上しているので、右債権買取り額のうち回収不能と認められる二四七三万四〇九五円を差し引いた四億九五三一万五二二〇円は、土地仕入高の過大計上になるとしてこれを否認し、犯則金額に組み入れるべきである旨主張するのに対し、弁護人において、右の客観的な事実関係はおおむね認めながらも、これは単なる経理処理上の誤りであり、被告人王利鎬らには税を逋脱する故意はなかつたから犯則金額に組み入れるべきではない旨主張することによる。
2 被告人王寛一の捜査段階(検227)及び公判における供述、松村靖子供述(二二ないし二四回公判)、査察官調査書(検75)、元帳(検88、89)、和解関係売買契約書(検100)、雑書類(検101)、債権の譲渡通知(検102)、不動産登記関係書類(検103)、配当異議関係書類(検104)によれば、被告会社は、昭和五一年一二月株式会社東洋との間で下高才町六番の土地のうち約一八二〇平方メートル(ほぼ分筆後の同町六番二に相応するものと解される。)を二億二七七〇万円で買い取る契約を締結したこと、右下高才町六番の土地及びこれに隣接する株式会社東洋所有の下本町四七番の土地には、共同抵当として多数の抵当権(登記簿上の被担保債権総額約一〇億円)が設定されていたが、売主の株式会社東洋の方で抹消する約束であつたこと、被告会社は、株式会社東洋の社長平沼に懇請されて、抵当権を抹消するために必要であるとの口実の下に、結局売買代金を上回る約二億七〇〇〇万円を支払い、下高才町六番の所有権移転登記を受けたが、株式会社東洋は抵当権抹消の右約束を実現しないまま倒産し、平沼社長はいわゆる夜逃げをしてしまつたこと、そこで被告会社は、下高才町六番の土地全体及び共同担保に供されていた下本町四七番の土地を取得することにし、抵当権者らと交渉した結果、昭和五二年三月から一月の間に、総額七億五〇〇〇万円余を支払つて、右土地の抵当権を抹消させ、あるいは抵当権付債権を買い取り、下高才町六番の土地のうち九五八・六平方メートル(六番一に分筆した分)及び下本町の右土地については、他の抵当権者(滝本政信)の任意競売申立により競売に付されたため、被告会社(名義上は王本公雄、王本寛一、王本清一)は、同年六月に七億〇一八〇万円で競落したこと(右土地の位置関係等は、別紙図面のとおりである。)、その後、同年一一月二二日に配当期日が指定され、被告会社が買い取つた右抵当権付債権(買受(譲渡)価額は、五億二〇〇四万九三一五円)に対して、競落代金から四億九五三一万五二二〇円を配当する旨の京都地方裁判所の配当表が作成されたこと、しかし、配当期日に他の抵当権者から配当異議の申立がなされたため、昭和五三年三月期中には配当金の交付は行なわれず、結局、配当異議訴訟において和解したことにより、同年九月二八日に至り右配当金の交付を受けたこと、被告会社の経理上、本件抵当権付債権譲受代金について、当初は買入契約手付あるいは仮払金勘定にされていたが、決算期に、右両勘定から土地仕入勘定に振替えられ、公表上、当期土地仕入高に組み入れられていることが認められる。そして、本件抵当権付債権の譲受代金は、客観的には債権という資産の取得代価であるから、これを土地仕入高に計上することは会計処理上失当であり、本件抵当権付債権譲受代金相当額五億二〇〇四万九三一五円から回収不能と認められる(配当されない金額)二四七三万四〇九五円を差し引いた四億九五三一万五二二〇円は、土地仕入高の過大計上となる旨の検察官の主張は、会計処理上相当なものである(回収不能分二四七三万四〇九五円は、土地仕入高勘定ではなく、本来貸倒損失勘定にすべきであるが、いずれにしても損金となるという点で違いはない)。
3 そこで、本件経理処理が被告人王寛一らの法人税逋脱の意思に基づいてなされたものか否かについて検討する。
被告会社の顧問会計士であつた真川正満は、捜査段階において大要次のとおり供述する(検197の一ないし三項、199の一項)。「昭和五三年三月期の決算前の同年五月ころ、被告会社において、王寛一から下高才町、下本町の土地の件で説明を受け、自分はメモ(検127に綴られているもの)をとつた。王寛一の説明では、本件抵当権付債権の買取代金を含めて一七億四九〇〇万円ほど土地仕入高がかかつたが、土地の競売により右抵当権付債権については裁判所の方から配当金が入るということだつた。私は「それだけ仕入にかかつたのなら、土地仕入として一七億四九〇〇万円を計上できるが、競売代金のうちから戻つてくる金があるのならそれを仕入から減算しなければならない。」と説明した。すると、王寛一は、「それなら仕入代が減る。全部仕入代にしておいてくれ。」と云うので、私はそれ以上さからえず、王寛一の云うとおり処理するよう事務員の松村靖子に指示しているはずである。」そして、渡辺憲一の供述(二六回公判)、査察官調査書(検75)、三越土地(株)の土地関係書類綴(検127)及びこれらによつて認められる真川が昭和五三年三月期の決算時に作成した前記メモ(検127の八枚目)には「権利買取の結果もどる金」、「<1>松村組、三三〇百万円、<3>今村栄造、一五〇百万円、<4>紫崎、四八百万円」との記載があることや、昭和五二年一一月一八日付で京都地方裁判所から前記配当表が示されており、被告人王寛一は配当金があることは十分認識していたはずであることなどに着目すれば、被告人王寛一は、法人税逋脱の意思をもつて本件経理処理に臨んだのではないかと考える余地もなくはない。
しかしながら、他方、被告人王寛一は公判では「下高才町の土地の一部を株式会社東洋から購入したが、同社は抵当権を抹消しないまま倒産してしまつたため、そのままでは分譲できず、抵当権者に右土地の分の抵当権を抹消してくれるよう懇願したが拒否され、しかも下高才町六番の土地全体及び下本町四七番の土地をも含めた共同抵当となつていたので、やむなく、抵当権者らに金を払つて、抵当権を抹消してもらつたり、抵当権付債権を譲り受けたりしたのであるが、自分としては、抵当権付債権の譲受代金は、土地を買うために使つたものだから、経費となり、資産として評価されるものとは考えていなかつたのであつて、法人税を逋脱するためにそのような処理をしたのではない。」旨供述し、真川正満も、公判では、「抵当権付の土地を買う場合には、抵当権の買取代金もいつたん土地の仕入に計上しておき、将来これに関して戻る金が入ればその時点で雑収入にでも計上すればよいと考えていた。」旨の供述をしている(二一回公判)。
そして、前期のとおり、昭和五二年一一月一八日の京都地方裁判所の下本町の土地競売の配当決定に対し配当異議の申立があり、昭和五三年三月期には配当金の交付は行なわれず、同年九月二八日になつてようやく現実に配当金の交付を受けたもので、査察官調査書(検75)によれば、右のとおり同年九月二八日に現実に配当金の交付を受けた時点で、いつたん配当金額につき土地仕入から減算処理をしていることが認められ、公表帳簿上被告会社の経理処理の経緯は隠すことなく記載されているのであつて、前記真川の仕入から減算しなければならないとの指示には従つており、また同人が債権は資産に計上しなければならないという指示をした形跡も窺えず、外国語大学を出たとはいえ、法律及び経理の知識が十分であつたとはいえない被告人王寛一が、抵当権付債権の買取りも土地買取りのためにしたものであるから、いつたん債権買取代金も土地仕入に計上し、競売の配当があつた段階で配当額を雑収入に計上するかあるいは土地仕入から減算するという処理も、可能であると考えたとしてもあながち不自然とはいえず、とくに本件の如く共同抵当に供されている二筆の土地のうち一筆については売買により取得し、他の一筆については任意競売により競落取得した場合の処理としては了解できないわけではないこと(税法上正当なものではないとしても)、などを併せ考えると、被告人王寛一らが、税金逋脱の手段として、本件経理処理をしたものと断定することはできず、関係証拠を精査しても被告人らに右の点につき具体的な逋脱の意思があつたものと認めることができない。
4 よつて、本件処理は犯則行為とならず、この点に関する検察官の主張は採用できない。
六 昭和五三年三月期の期末土地たな卸高について
1 当期の期末土地たな卸高について、検察官及び弁護人の各主張額に二億〇二八九万三八四〇円の差異があるのは、検察官において、(一)前記五のとおり、被告会社は当期土地仕入高を四億九五三一万五二二〇円過大計上しているため、当期期末土地たな卸高が二億七九一三万八二五一円過大計上になつており、(二)被告会社は、下高才町、下本町の土地について、表通りに面する部分の土地の原価を高く、裏通りに面する部分の土地の原価を安く評価し、七六二四万四四一一円の土地たな卸の評価減を行なつたため、期末土地たな卸高が過少計上となつているので、右両者を否認すべき旨主張するのに対し、弁護人は、右(一)については単なる経理処理上の誤りであり、被告人らには税の逋脱の故意はなく、(当期本勘定のみでは、収入額が減ることになりむしろ被告人らに有利となる。)、(二)の処理は、経理処理としては正当なものであり、仮に税法上誤つていたとしても、単なる経理処理上の誤りで、被告人らに逋脱の故意はない旨主張することによる。
2 しかしながら、右(一)の過大計上の点については、前記五のとおり、被告会社の当期土地仕入高の処理につき否認しないので、期末土地たな卸高についても、検察官主張のように犯則所得算定上過大計上として減額するに由ないものである。
3 次に、右(二)の評価減の点について検討するのに、査察官調査書(検73、75)、三越土地(株)会社資料綴(検98)、三越土地(株)の土地関係書綴(検127)によれば、被告会社は、昭和五三年三月期中に、下高才町の土地を一一三七・一九平方メートル、下本町の土地を一六七四・三三平方メートル(合計二八一一・五二平方メートル)売却したにもかかわらず、公表上は下高才町の土地のみを二八一一・五二平方メートル売却したことにし、かつ、下高才町は表通りに面し、下本町は裏通りに面するものとし、表通りに面する部分は販売価額が高く、裏通りに面する部分は販売価額が低いことを前提にして、各土地の販売価額に相応する形で土地の取得価額(期末たな卸高)についても原価配分し、一平方メートルあたり下高才町は二八万円、下本町は二一万円として計算し、総額七六二四万四四一一円の評価減を行なつていることが認められる。
そこで、まず、本件のように一括して購入した土地の一部を販売した場合、土地たな卸高算定の基礎としての土地取得価額につき、分割販売した土地と残存の未販売土地との単位当りの時価に差があるときに、面積比による取得価額の按分とせず、分割譲渡時の土地の価額比によつて取得価額を按分計算して算定することが許されるか否かであるが、所得税基本通達(三八-一の二)は、これを認めているほか、法人税基本通達(二-二-二)には、「法人が一団地の宅地を造成して二以上の事業年度にわたつて分譲する場合の分譲に係る売上原価の計算方法は、その方法が分譲価額に応ずる方法である等合理的なものであると認められるときは、継続適用を条件としてこれを認める。」旨規定されているように、事柄自体必ずしも合理性を欠くとはいえないことを考慮すると、前記のような分割譲渡時の土地の価格比による按分計算方法は、検察官が主張すほど不合理なものとはいえない。なお、国税査察官の渡辺憲一は六四回公判で、被告会社は、本件下本町、下高才町の土地のみならず被告会社が開発したすべての分譲地について同一の計算方法をとらなければ、前記の計算方法は許されない旨供述するが、右通達上もそのようなことは要求されておらず、また、本件において、昭和五三年三月期と同五四年三月期で被告会社がとつた評価方法に相異はあるが、同五四年三月期は、造成のうえ住宅を建て分譲するという状況の変化があることからすれば、同五三年三月期の方法をとらなかつたとしても、あえて異とするに足りない。
さらに、一平方メートル当りの土地単価につき、表通りに面した部分を二八万円、裏通りに面した部分を二一万円として按分計算したこと自体不合理と解すべき証拠は存しない。
次に、被告会社が昭和五三年三月期に下高才町、下本町の双方の土地(一部分)を売却したにもかかわらず、公表上は、下高才町の土地のみを売却したとして処理している点について、検察官は右処理は恣意的な評価で、被告人らの逋脱の犯意を認めさせるものである旨主張するが、査察官調査書(検75)、和解関係売買契約書(検100)によれば、被告会社が昭和五三年三月期中に売却した下高才町、下本町の土地は、別紙図面のとおり、すべて表通りに面する部分であることが認められるから、これを公表上、下高才町(表通りに面した部分)の土地を売却したものとして経理処理しても、表通りに面した土地を売却したという意味では差異はなく、このこと自体は期末土地たな卸高の算定には影響しないものであるから、結局検察官の右主張は採用できない。
以上から、前記(二)の経理処理(土地たな卸の評価減)は必ずしも不合理なものと断じられないうえ、被告人王寛一の公判供述、真川正満の調書及び供述等を検討しても、右処理が、被告人らにおいて、法人税逋脱の具体的認識を持つてなされたものとは認めることはがきない。
七 昭和五四年三月期の当期土地仕入高について
1 当期の土地仕入高について、検察官及び弁護人の各主張額に一億六二五〇万円の差異があるのは、検察官において、(一)検察官が昭和五三年三月期の土地仕入高につき、否認した下高才町、下本町の土地競落配当金相当額(昭和五四年三月期においては、供託金利息も含めて、四億九九二七万七七一〇円)を、被告会社は当期の土地仕入高において減算しているが、検察官は同五三年三月期において、すでに犯則金として否認しているから、同五四年三月期においては減算せずに処理し、(二)被告会社は、当期において、右(一)のとおり、いつたん土地仕入高から減算した四億九九二七万七七一〇円と、本件土地競落に関する配当異議訴訟で被告会社が支払つた和解金一億六二五〇万円との差額三億三六七七万七七一〇円を、土地仕入減から預り金勘定に振替えているので、これを否認すべき旨主張するのに対し、弁護人は、右(一)については、被告人らに逋脱の故意はなく、(二)については、被告会社の経理処理自体正当なものであり、仮にそうでないとしても被告人らに逋脱の故意はない旨主張することによる。
2 しかしながら、右(一)の四億九九二七万円余の仕入減算の点については、前記五のとおり、被告会社の経理処理を否認しないので、当期においても検察官主張のように処理するに由ないものである。
3 次に、(二)の三億三六七七万七七一〇円の振替の点について検討するのに、査察官調査書(検75)、総勘定元帳(検143)によれば、被告会社は、公表帳簿上昭和五三年九月二八日付で京都地方裁判所からの配当金四億九九二七万七七一〇円を土地仕入勘定の貸方に計上し、仕入の減算処理をしたが、同期末の同五四年三月三一日付で、右四億九九二七万七七一〇円を土地仕入勘定の借方(預り金勘定の貸方)に、当初(昭和五三年九月一四日付、同月二五日付)土地仕入借方に計上していた和解金一億六二五〇万円を仕入貸方(預り金勘定借方)にそれぞれ計上し、結局両者の差額三億三六七七万七七一〇円につき土地仕入の加算処理をしていることが認められる。
ところで、右のような経理処理により、結局、右配当金と和解金の差額三億三六七七万七七一〇円は、当期土地仕入高に計上されるに至るのであるから、右は正しい経理処理とはいえない。
そこで、右の経理処理が、被告人王寛一らの法人税逋脱の意思のもとに行なわれたものか否かについて検討するのに、被告会社の経理事務を担当していた真川会計士の事務員松村靖子の捜査段階の供述調書(検207、211)には、「昭和五四年三月期の申告前の同年中旬ころ、私と真川が被告会社で同期の決算処理をし、試算表を作成したところ、三億円余の粗利益が出ることになつた。それで、その場にいた王寛一は、真川に対し、「土地のたな卸でなんとか調整できないか。」と云つた。これは王寛一が税金を納付しない方法として意見を出したものである。これに対し、私は、「裁判所からの入金分を仮受金にしたらどうか。」と云つたところ、真川は「仮受金でなく、預り金で計上してくれ。」と云うので、私は三月三一日付で振替伝票を記票し、元帳の土地仕入勘定科目にも記載した。この経理処理により三億三六七七万七七一〇円利益が減ることになつた。こんな方法をとれば脱税になることは判つていた。」旨の記載があり、同趣旨の真川正満の供述調書(検198)の記載及び本件処理により客観的にも三億三六七七万円余り経費(土地仕入高)が増大し、被告会社の利益高が減少することから考えると、被告人王寛一らは税金逋脱の手段として右の経理処理をした疑いが存する。
しかしながら、被告人王寛一及び松村靖子の公判供述並びに訴状写(弁1、2)等によれば、当期の決算の時期には、本件土地取得に関連する訴訟がなお係属しており、その結果如何では、本件和解金以外にも更に金を払わなければならなくなるかも知れないので、本件配当金及び和解金はまだ確定していないものと考え、右のような経理処理をしたというのであつて、取調べにかかる証拠によれば、右の経理処理がなされた当期決算期(昭和五四年六月ころ)は、被告会社に大阪国税局の査察が入り、被告人王利鎬、同王寛一らが国税査察官の取調べを受けた直後のころであつて、このような時期に、あえて公表上明白な痕跡が残るような手段で脱税工作を図るというようなことは考え難いことなどを併せ考えると、前記松村及び真川の調書の各供述記載はたやすく措信できず、本件経理処理が被告人らの逋脱の意図に基づくものと断定することはできないものである。
八 昭和五四年三月期の期首土地たな卸高について
当期の期首土地たな卸高について、検察官及び弁護人の各主張額に二億〇二八九万三八四〇円の差異があるが、これは前記六の昭和五三年三月期の期末土地たな卸高と同様の理由に基づくものであるから、同項で示した判断のとおりである。
九 昭和五四年三月期の期末土地たな卸高について
当期の期末土地たな卸高について、検察官及び弁護人の各主張額に七七万五八〇七円の差異があるが、これは前記六の昭和五三年三月期の期末土地たな卸高と同様の理由に基づくもので(金額が減少したのは、当期中に土地の相当部分が売却されたため)あるから、同項で示した判断のとおりである。
一〇 昭和五四年三月期の寄付金の損金不算入について
当期の寄付金の損金不算入について、検察官及び弁護人の各主張額に一八一万二五七五円の差異があるのは、検察官において、検察官主張の被告会社所得額が公表額より増大したのに伴い、損金不算入額が減少したので、宗教法人金剛寺に対する寄付金中、一八一万二五七五円を認容すべき旨主張するのに対し、弁護人は公表計上額どおり主張することによるが、当裁判所は、前記一ないし九に詳述したとおり、検察官が犯則所得と主張する金額を犯則金額と認定しないものであるから、本科目に対する検察官の主張はその前提を欠き採用できない。
第三結論
以上を要するに、本件各公訴事実は、いずれも犯罪の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法三三六条により、被告会社及び各被告人に対しいずれも無罪の言渡しをする。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 内匠和彦 裁判官 氷室眞 裁判官 横田信之)
別表1 修正損益計算書
<省略>
<省略>
<省略>
<省略>
(注) 説明欄の「一」などの数字は「第二 当裁判所の判断」中の説明部分を示す。
別表2
検察官主張の架空支払利息割引料
<省略>
(注) 各項目の意味については次のとおりである。
(1) 「架空支払利息」について
田中某ほかの架空名義を使用して、<1>売上除外金による架空借入金を公表に計上し、これに対する架空支払利息を計上する、<2>前記<1>によつて得た簿外資金も同胞から借入れしたと仮装して公表に架空借入金を計上し、更に架空支払利息を計上していたものである(検察官冒頭陳述書33丁)。
(2) 「簿外支払利息」について
被告会社が、仮名預金を担保に、関西相互銀行北野支店等から仮名で簿外借入れしていたものに係る支払利息である(同上34丁)。
別表3 支払利息・借入金合計表
<省略>
(注) 残高欄のかつこ書は口数である
別表4
<省略>
注
(1) 建売住宅総売上高は、検253号証による。
(2) 売上除外額は、43.3期~48.3期は建売住宅総売上高に売上除外率6.88%を乗ずることによつて推計し、49.3期は検255号証、50.3期および51.3期は検254号証、52.3期および53.3期は検44号証による。
(3) 架空名義借入額は検70号証による。
(4) 支払利息総額は冒頭陳述書41丁の1、2表および検70号証による。
(5) 支払利息の源資別振分は、借入金の原資割合に応じて比例配分した。
(6) 公表帳簿組入額とは、中京税務署の更正決定に従い、簿外の売上除外金を公表帳簿に組入れたものをいい、その金額は検266号証による。
(7) 簿外預金額は、検察官の主張通り、売上除外金および支払利息の中から簿外預金に廻されたものがあつたものと仮定し、その金額は検62号証による。但し43.3期~48.3期の各期増減額が不明であるので、とりあえず48.3期に全額預金されたものとして扱つた。
別表5 仮名・無記名預金及び受取利息合計表
<省略>
別表6 弁護人主張の本件預金の帰属者(真正預金者) No.1
(注) 1 真正預金者欄が空白となつているのは、具体的な預金者名は不明だが被告会社には帰属しないという趣旨である。
2 金融機関名は略称する。
(定期預金)
<省略>
No.2
<省略>
No.3
<省略>
No.4
<省略>
No.5
<省略>
No.6
<省略>
No.7
<省略>
No.8
<省略>
No.9
<省略>
No.10
<省略>
No.11
<省略>
No.12
<省略>
別紙図面
<省略>
(注)斜線部分は昭和53年3月期に売却した部分である。